May 14, 2007

うちのおかん(3)

私は注意欠陥多動性障害を持つこどもだった。
忘れ物が多いしすぐにものを壊す。
コミュニケーションが下手でお友達もなかなかできなかった。

自分では自覚がなくて困ってもなかったけれど
こどもながらに「私ってアホやなぁ」と感じ始めたあるエピソードがあるのだ。

ある日学校で黒いリコーダーが配布された。
もちろん、前もって注文をとられていたもの。
私は嬉しくてそのリコーダーを早速取り出し、遊びながら帰路についた。その途中で落として壊してしまったのだった。
家に帰って母親に報告すると
「あらら!ほな、新しいの買っとかなあかんなぁ、今からジャスコに行こう」と言って、一緒に自転車でジャスコに買い物に行った。ジャスコには黒いものがおいてなく、茶色いリコーダーを購入した。「皆と違う色でもドレミは一緒」と母は言った。

今思えば、母親がなぜ怒らなかったのか不思議だ。
私が母親だったらきっと怒るだろう。
つい先日、この話を母にしてみた。そして怒らなかった理由を尋ねてみたのだ。
すると母親は「そんなことあったけ?へえ〜」とあまり反応なし。「それくらいで怒ることもないやろ」という。
私はそのことがもしかしたら自分はヒトと違うところがあるかもしれないと感じたきっかけになったと話してみた。

母の答えはこうだ。
「確かにあんたは忘れ物も多いし、片付けも下手やし、無くし物も多い子どもやったけどなぁ、私がそれで困ることはなかったから。あんた自身が困ったときに初めて、気をつけるというもんやろうけど、持って生まれたもんやから簡単にはいかへんわ、しゃあない(仕方がない)わ。今もそういう傾向があるやろ、まぁ、あきらめとき」

私はこれを聴いて、自分が卑屈にならずに成長した理由が分かった。失敗だらけで頻繁に叱咤されると自己評価が低くなる。
私は上手にほったらかしにされて育ったというわけだ。
確かに母の言うとおり、私は高校生くらいから自分が困らないためのスキルを身につける努力をしていた。
例えば持っていくもの一覧表を作成し、それにのっとって登校準備をするのだ。
部活などで公演が決まるとそこまでのスケジュールを立てて必ずフローチャートにしておく。
私は聴覚よりも視覚情報に頼るほうが理解が良いのだ。

今もやっぱりミスは目立つけど、自分の中ではとても良い方向だ。これぐらいでいいのだと思うようにいている。

そしておおらかに育ててくれた母に感謝している。
ありがとうね、お母さん。

そんなこと話しているすぐそばから
「携帯どこやったかな?おとーさん!わたしの携帯鳴らして!」
とか
「鍵鍵!鍵どこやろ〜!」とか
「この間玄関に鍵かけるの忘れて仕事行って、お父さんに怒られてん」などと騒いでいるおかん。

・・・やっぱ、親子、やね。